第35回世界遺産委員会において
「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」
世界文化遺産に登録されました。
関係者の皆様おめでとうございます。
「復興の希望の光にしたい」平泉の菅原町長のお言葉通りに希望の光になることを願っております。
「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」
世界文化遺産に登録されました。
関係者の皆様おめでとうございます。
「復興の希望の光にしたい」平泉の菅原町長のお言葉通りに希望の光になることを願っております。
平泉、第35回世界遺産委員会で世界遺産(文化遺産)登録決定!
平泉(仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群)
が2011年6月26日フランス・パリで開かれているユネスコの第35回世界遺産委員会に於いて世界遺産(文化遺産)に登録されることが決まりました。
東北地方の誇る文化遺産が、世界遺産に登録されたことを嬉しく思います。

3年前の登録申請では浄土思想の絞り込み不足から登録延期となっていました。
「顕著な普遍的価値が認められなかったため」との理由でした。
・国際的に見て類が無い事の証明
・対象物件と申請内容の関連性
この2点が大きな反省点となりました。
「平泉:浄土思想を基調とする文化的景観」と言う内容から、登録申請物件を絞り込み「平泉:仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」に。
推薦書でも浄土とそして伝来した文化が日本独自に変化した世界に類を見ない物件である事を強調しました。
・6~12世紀に中国大陸から日本列島の最東端へと伝わる過程で日本に固有の自然崇拝思想とも融合しつつ独特の性質を持つものへと展開を遂げた仏教、極楽浄土信仰を中心とする浄土思想に基づき、現世における仏国土(浄土)の空間的な表現を目的として創造された独特の事例
・仏教とともに受容した伽藍造営・作庭の理念、意匠・技術が、日本古来の水景の理念、意匠・技術との融合を経て、周囲の自然地形をも含め仏国土(浄土)を空間的に表現した建築・庭園の固有の理念、意匠・技術へと昇華した寺院における建築・庭園の発展に重要な影響を与えた価値観の交流
・そのような建築・庭園を創造する源泉となり、現世と来世に基づく死生観を育んだ浄土思想は、今日における平泉の宗教儀礼や民俗芸能にも確実に継承されている。
前回申請時より平泉を簡潔に浄土との関連性並びに、世界から見ての独自性を打ち出す事によって、2011年6月26日フランス・パリで開かれているユネスコの第35回世界遺産委員会に於いて世界文化遺産に登録されました。
はじめに(平泉、世界遺産への道)
世界遺産。人類が後世に残すべき資産。
各国がユネスコに登録申請出来るのは「1年に1箇所」のみです。
日本の2007年度申請物件(登録可否が決定されるのは2008年)
「平泉ー浄土思想を基調とする文化的景観」となります。
平泉は中尊寺金色堂などで有名ですが、その土の中にはまだ沢山の歴史が埋もれています。
奥州藤原家の資料も、奥州藤原家滅亡の際に、藤原泰衡が焼失させた「伽羅御所」と共に燃え落ちたと言われています。
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」などの、少々の記載。
そして、土の中の遺構を発掘する事で解ってくる事実。
マルコポーロが「黄金の国」と日本を言ったのは「平泉」とも言われていたり、金色堂には「アフリカ象」の象牙が使われるなど、平安時代では想像もつかない様な「世界的交流」も見受けられる都市である事。
もちろん「中尊寺金色堂」も、人類が後世に残すべき資産ですが、その他多数の歴史的遺構のある都市が「平泉」を中心とした、今回世界遺産登録申請をしている地域です。

平泉の歴史的背景を「旅行者としての視点」で感じた事です。
「浄土思想や文化と平泉」
奥州藤原氏の理想郷として作られた「要所に大寺院を配した都市平泉」
三代で完成していった「中尊寺、毛越寺、無量光院」
平安時代後期の建築物である「中尊寺金色堂」
絶大な財力と権力を誇った、奥州藤原氏の100年史
西行と平泉
「戦いの歴史」
坂上田村麻呂とアテルイや蝦夷
源義家を始めとする源氏と安倍氏・清原氏
源義経と奥州藤原氏の滅亡の関係
「近世の平泉」
松尾芭蕉と平泉
伊達家と平泉
世界遺産へ申請されたその「背景」を知りたくて、平泉に数回足を運び、そしてこのサイトを作成しました。
また、サイト内では旅行者としての視点で
・基礎知識
・平泉観光の楽しみ方
・生の旅行者としての感想
を掲載しています。
その歴史的魅力を「旅行者として」紹介出来るサイト。
実際肌で感じた、平泉の息吹をお伝えできれば幸いです。

世界遺産申請物件